ネッキの歩み
そんなネッキミシンの今日の評価を支えているのは、品質と製品デザインの高さです。100年に渡り培ったこの伝統が誇りであり、大きな責任でもあります。
1919
ヴィットリオ・ネッキは、第一次世界大戦から戻った後、パヴィアの工場を引き継ぎました。妻からミシンの購入を依頼された彼は、自分の工場の鋳鉄を使用してミシンを作るというアイデアを思いつきました。
1924
40名が働く最初のミシン工場を設立したヴィットリオは、ネッキブランド最初のモデル、「the Necchi BD」を生産しました。
1930
事業が成功してゆき、徐々に輸出を拡大したミシン工場では、年間生産量が19,669台にのぼり、そのうち2,000台以上が世界30カ国以上に輸出されました。
1932
ジグザグステッチを備えた最初の家庭用ミシン、モデル「BU」を開発しました。このミシンにより、繕いぬいやボタンホールなどの多くの装飾ステッチが可能になりました。
1945
会社の成長と共に、鋳物に加え、工業用ミシン、家庭用ミシン、ミシン専用台の製造など、お客様のニーズに応えた新しい分野や部門を増設し、事業を多様化させてゆきました。
1946
事業の拡大と共に、ネッキは、一日の生産台数が1,000台に達し、1万件以上の業者と取引を行う、従業員4,500人を雇用する大企業となりました。当時、アメリカやヨーロッパでもこの高品質のイタリアンミシンが輸入販売されていました。
1954
この年、ネッキは他業種からのデザイナーを招き、新たなコンセプトでデザインした、初の刺しゅうができるミシン「SUPERNOVA(スーパーノバ)」を発表し、イタリアの工業デザイン界の最高峰「コンパッソ・ドーロ」賞を受賞しました。画期的なこの商品の広告には、当時の人気女優ソフィア・ローレンが起用されました。
1956
機能性と曲線美の傑作である「MIRELLA(ミレラ)」シリーズは、第11回ミラノ国際美術展覧会で「コンパッソ・ドーロ」賞と展覧会のグランプリ賞を獲得、また、MoMAこと、ニューヨーク近代美術館で常設展示されることとなり、工業デザインの分野において高い評価を受けました。
1970
1970年代には、ネッキ初の電動ペダル操作の電子ミシンを誕生させました。
1983
この年、イタリアの工業デザイナーであり、有名なカーデザイン会社イタルデザインの創設者であるジョルジェット・ジウジアーロが手がけた未来的デザインの電子制御パネル付コンピュータミシン「LOGICA(ロジカ)」が発売されました。
1990
ネッキは、イタリアで古くから人気のミシンブランド、「Vigorelli(ヴィゴレッリ)」と「Millepunti(ミレプンティ)」を新しいブランドとして加えました。
2019
2019年に100周年を迎えたネッキは、このアニバーサリーイヤーに新シリーズのミシンを発売しました。これからも、世界中のお客様に優れた性能と信頼性を兼ね備えたネッキミシンを楽しんでいただけるよう、たゆまぬ努力を続けてまいります。